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弾ける うれしさ





部活の

部長さんをしている3年生は

いつもレッスンに飛び込んできます。


前後には

忙しい日常があるのでしょう。



しかし

いったんピアノに向かうと

しずかです。





 

 

 








中学生。

毎日  
部活動があります。



そのあとに
週に何度も塾に行くそうです。



また

塾に行かなくても
受験を前に
机に向かっている生徒さんも
いらっしゃいます。



みんな
今を
一生懸命に過ごしています。





そのなかで
弾きたいピアノがあること。

本当に
うれしそうで
まるで 疲れなど
消えてしまったように弾いています。

 




 



傍にいて

よかったなあ、と

心から思います。









新しい曲を弾き、

そして

今まで弾いてきたレパートリーも

大事にしています。


🌱



弾きたいな、と思って

弾くと


 

勉強や部活動で

肉体的に…

気持ちの上で疲れていても


それらの曲たちは

やさしく

寄り添ってくれる、 

そのことを

感じているのでしょう。




どんな 状態であっても

曲は

音楽の音の泉に

すっと

入れてくれるのです。





脳が

リラックスして

身体がほぐれていくのを

感じられます。



お話は変わりますが
おともだちのお孫さんが
水曜日の夕方に
天に帰っていきました。


テニスが大好きだった
11歳の男の子

2年 白血病と
ともにありました。







長い長い
病の苦しみから解放されて
いまは
神さまのふところに
くつろいでいるのでしょうか。





そう思いながらも

悲しみや
さみしさは
なくなることはありません。


ご両親や おばあちゃんのことを思うと
どんなにお辛いことだろう
と。



これから先に希望を持てる歳の
ちいさな いのちを前に
なにも してあげられないことを
感じられてきたことは
どれほどの辛さだっでしょうか。




そのとき
こたえは
おありだったでしょうか。




家族のまわりにいらっしゃる
他の家族にふれるとき

その元気さに
うらやましくみえたことも
おありだったかもしれません。
  






でも
人知れず
どの人も

みえないところで
ちいさな 悲しみや 痛みは
きっと
あるのだとも思いました。







みんなみんな


幼稚園生も
小学生も
中学生も
高校生も
大学生も
社会人も
お母さんも
お父さんも
おばあちゃんも
おじいちゃんも

みんなみんな
みんなみんな
いまを
生かされているのですね。



それが
なぜだか今日は
悲しくもあり
そして
尊く感じます。





ピアノに座り
弾きました。
 


わたしも
悲しみがあります。


自分を守るために
ひとを傷つけてしまうこともあって
その自分に 痛みます。



なんど
こういうふうに改めよう!と
頑張ってきたでしょう。



ダビデという王様の詩に
こうありました。

「人よ、いつまで心を閉ざし
   むなしいことを追い
   見せかけを求めるのか。
   神は わたしを選び
   ご自分のものとされた。
   神は わたしの叫びに
   耳を傾けてくださる。

   神よ、あなたの顔の光を
   わたしたちの上に照らしてください。

   あなたが わたしの心に
   与えてくださるよろこびは
   小麦と ぶどうの豊かな実りに
   まさるもの

   神よ、わたしの平和は
   あなたのうちにある。
   わたしは 床につき
   心しずかに眠る。」




🌱
音のなかに 浸りました。


悲しみのまま。
さみしさのまま。 
責める気持ちのままで。




次第に 次第に


こんなわたしを

音のつばさが
おおってくれるのを
感じました。

そして
やさしく
いつも励ましてくれているのを
感じました。





たしかに
たしかに
そして深く
そう 感じました。

    




だいじょうぶだよ!

だいじょうぶだよ!

いつも ともにいるよ!

いつも ここにいたらいいよ!






あしたは
イースターです。

わたしの すべてを
あたらしくしてくださった
いのちのいのち。

復活。



調整日でレッスンがお休みの土曜日。

目を
かわらない 愛に向け
しずかに 
ピアノに向かいたいと思います。


庭の植物の息吹を
いただこうと思います。





ちいさな生徒さんから頂いた
宝石のような
キャンディーを なめながら…。


さいたま市浦和区/緑区ピアノ教室
まえだやえこ