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単純なこと


穏やかな休日。

たくさん弾きながら
いろんな事を感じました。

生徒さんのピアノを聴きたいなあ〜☆

わたしは
生徒さんが
の前に座るだけで嬉しいです。

おかしいでしょ(笑)


でも 本当なのです。


どんな音を出すのかな。


空間に寛いでいられているかな。



「ピアノ」という楽器が
生徒さんを待っているんです。

よく来たね〜!
待ってたよ!
って。

だから
弾き始める生徒さんの音を
わたしは
じっと じっと
こころも
すませて聴くのです。

つっかえても
ころんでも
たいしたことない(笑)

むしろ
わたしの前で、
安心してつっかえてほしいなあ。

そのときには
わたしは
言います。
「だいじょうぶ!やってみよう!」
って。


その場で
「できた!」体験を
味わってほしいんです。

できなくても
「けなされない。
   そのまんまで 受け入れてくれてる」
って感じてほしいんです。



ときどき、
うまくいかない自分のもどかしさに
ただでさえ 気持ちよくないでしょうに、
「ごめんなさい。」
なんて言う生徒さんがいるのです。

わたしはすぐに言います。

「あやまらなくっていいんですよ。
   たくさん間違えてもいいんです。
   うまくいかなくってもいいんです。
   かならず 
   気持ちよく弾けるようになるから。
   その自分を大切にしていきましょう」
って。

こどもにも 
このような内容を笑って伝えます。

「気にしない 気にしない!
    よくやってるよ!」

って。

だって、
生徒さんは
裁判を受けに来たんじゃないもの(笑)

できてるか
できていないか のチェックを
受けに来たんじゃないもの。
わたし
昨日、
ひとりで たくさん弾いているときに
こんなこと思っていました。


自分が弾いているときに
「ちょっと、今音ちがったよ」
なんて言われたくないもの。

弾けば、ミスタッチだってする。

そんなの言われなくても
自分がよく知ってる。

たまたま違う音を
触ってしまうこともあるもの。

そこを
「音ちがうよ」
と言われたら、
一気にテンション下がる⤵️。




また
「もっと練習しなさい。」
とか言われたら、
今のわたし、もうしない(笑)。

結局その言葉の出所だけれども、
先生の権威から出るものや、
また
こんなレベル、許せない、
という思いからとわかると
わたしは ロボットのように
からだカチカチになっちゃうな。

声に出さないけど、

ピアノなんて弾けなくても
生きていける!って
心ではつぶやいちゃうな。

その曲の持ち主が曲ご自身じゃなくて
先生になっちゃう。

そんな先生の支配の曲から
わたしは逃げたくなっちゃう(笑)


悲しくて
痛くて
こわくて弾けなかった。

ピアノに座れなかった。

でも座った。
弾いた。

こころのバランスが取れなくなって
起きれなくなった。


過去のはなし。



わたしは
今、
音楽ご自身こそ
先生だと思っています。

唯一の先生は
音楽ご自身だと。

先生は
本当の先生じゃない!

先生は
生徒さんが
「音楽と一対一で向き合いたい!」
と思う思いを湧き上がらせて、

先生を仲介に入れず、
自分で音楽に積極的に交わっていくように
励ます存在だと思っているんです。
人間だから
完全に音楽の愛ほど
流し出すことはできないこともあります。

愛のないわたし、ごめんなさい、
と思うときもあります。

でも、
自分が毎日しっかり弾くことで
感じることができます。

どう言われると 
もっと音楽に積極的に入れるか。

また
どう言われちゃうと
やめたくなるか(笑)。

音楽は愛だもの。

その中にいたいから弾くんだもの。

そのことを
うんと うんと
生徒さんには味わわせてあげたいな。

「いやあ!このきのこパスタは絶品だね!  美味しいよ!」

こう言われて
よろこんでくれて、うれしいな、
と思いました。
これからも丁寧に作りたい、って
思いました。





わたし、思うんです。

ひとは
みんなみんな成長したい、
って願っているんだ、って。


でも
自信が持てなくって
不安になって、
それで
うまくいかないこと
あるんです。 

そんなときに
指導されちゃうと
出来ない自分をさらに惨めに思っちゃうこと、あると思うんです。



わたし
わかるんです。

劣等感の塊だったから(笑)
(つっこまれると痛いから、
出来るフリして自分を守ってきたの。(笑)涙💦)



それで
無理!って悲鳴あげちゃって、
20代後半でカウンセリングに出逢い、
受けて、
その先生のもつ 、
本当のやさしさと
ひとの可能性を信じる力を
わたしもほしくて、
それから学んできました。



隠れたところで自信のない私に
ひとは言いました。
「弾けるんだし、賞だってもらったんだし、お仕事も立派にしているんだから何も自分に卑屈にならなくたって
いいと思うよ」
って。


でも、
わたしは
色々持っているように見える現実でも、
自分の確かさが全然分からなかった。




「承認」の感覚が
あまりになかったから。


今思うんです。

結局、
見える形で何かを得たことでは
芯の部分は満たされない、って。






弾けても弾けなくても、
うまくいってもいかなくても、
その存在が素晴らしい、
と認めてもらう体験が、

ひとに
自分を
ありのまま受け入れる力を与え、

本当の意味で
頑張りたい!と思えるんだ、って。


わたしが欲しかったレッスンを
わたしがしていこう!って決めました。


もちろん
厳しいレッスンがあったから
今のわたしがあるのでしょう。


でも、今まで受けたレッスンは
今までのわたしに必要だったこととして
感謝して天に還して、
これからは
わたしの内面から「受けたい!」
と湧き思うレッスンを探していこう!
って
決めたのです。


それから15年以上が経ちました。


その探求は
死ぬまで続くでしょう。

それが嬉しいです。

まだまだ、
音楽のよろこびを知っていける。

そのよろこびを
生徒さん達と響きあっていける。





わたしは、
どう関わってもらうと
自分が前向きになれるのか、
また、
本音の自分が寛ぎ
自分自身であることに
よろこびを感じられるのか、
を、
長い期間かけて学んできました。



そのような自分育てを
長い期間してきましたし、
そして
今もしています。


毎日のピアノ日課は
ただ
音の中にいたいから弾くのだけれど、

わたしがわたしを
育てる時間にもなっているな、
と思います。



わたしは
自分にやさしくありたいです。



そして
生徒さんに やさしくありたいです。


その芯からじわじわくる温もりが、

本音の、
嘘のない
心の深みから紡ぎ出される音になり、

かならず
よろこび満たされる
素晴らしい演奏になっていく、と
信じています。




金曜日に作ったフルーツケーキを、
主人はよろこんで、褒めながら
パクパク食べてくれました。
うれしくって、こっそり
昨日はバナナケーキを焼きました。

ひとは
単純なのです。
よろこび よろこんでもらいたい。




音楽は
わたしたちを
よろこばせたいのです。
そして
その わたしたちの よろこびを
音楽は欲しいのではないでしょうか。