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ひとりひとりの可能性


台風前の雨の土曜日、
仕事からの帰りに主人は
秋のパイを買ってきてくれました。


林檎とスイートポテトを
マッチングさせたパイです。

珍しいでしょうか?

わたしは 
この組み合わせは
はじめてでした。

林檎とスイートポテトは
おたがいの旨味を引き立てながら、
香ばしく焼き上げられていました。



日曜日の朝、
この秋の実りをいただきながら、
台風通過の空の下、
外の状況は如何でも
よろこびの1日を
与えられていることを思いました。





さいたまは
台風の強い風が
横なぐりに 、
またクレーン車のシャベルのように
空から地上に吹き動いた夜でした。

しずかに
その音を布団のなかで 聴いていました。

力のおと。

今年は例年以上に
自然の脅威を感じさせらる年です。



🔼
なんて美しいのでしょう!

日高市の曼珠沙華だそうです。

調律師の小林さんが送ってくださった
曼珠沙華の写真です。

ふと見ながら、
秋の美しさが
強風から守られたらいいな、
と思いました。





また、
先週をふと振り返っていました。


生徒さんたち。

表現したいことが溢れていました。



人はみな
自らの中に 
気づいていてもいなくても
固有の美しさがあります。

その源に気づく時、
内面から外へと表したい!
と動き始めるのでしょう。



その溢れを表現する手段を
おおくの人は見出したい、と願い

そして探し求めるのではないでしょうか。



昨年の真冬に
DJになりたい、と
高校生が訪れました。

イケメンで
見上げてしまう背の高さ。

「まだ伸びてるんですよ。」
と、
はにかみ笑っていたことを
今でも思い出しては微笑んでしまいます。



1年経たず、 
彼は 
自分のなかにあるものを
音を通して紡ぐようになりました。


レッスンでは

音楽の色彩を表す「調」のことや、

それぞれの調に備わる
柱である
和音の構成と力を
シンプルに教えました。


また、
バスケットボールなどは上手く操れても
生まれてから
ピアノを弾いてきたことのない指で、
不自由なく自分の出したい音を
自由に叩け動かせるように、

今は
ハノンというテクニック教本の
1番から5番までを
毎日 暗譜で弾くようになっています。

また
楽譜を読む力もあった方がいいね、と
メソッドを使い、
読譜力もつけてきています。



そして、1番のメインは
即興弾き。


わたしが
その時々の即興のテーマを伝えます。


1週間の間で思い巡らし
曲を作ってきてもらいます。


習いたての半年くらいまでは、

わたしがその場で即興をしてみせました。

彼はその都度、

「いいですか?」
と聞いて、
その即興を録音していっていました。

どんな音の形が浮かんだか、
何を表したくて
それらの音が湧いてきたか、

などを話しながら、
わたしの中に動いた様を語りながら
弾き伝えてきた日々。





今はその時間が
もったいないと感じるほど
彼の中にあるものを
実際に弾いてもらいたい時間。



それほど
内側にあるものを
彼自身が感じる力が生まれ、

それを表現するツールを
自ら、生み出してきているのです。

レッスンに来るときは
若者独特の雰囲気があり、
つい、微笑んでしまいます。


引っ掛けるタイプのイヤホンで、
1週間に浮かんできた
メロディーや響き、リズムの断片の録音を
反芻しているのでしょうか。


礼儀正しく、
その音源をしまいながら
教室に入ってきます。

そして
弾き始めれば
音の前にしずまる
ひとりの真摯な存在となります。


その指から紡ぎだされる即興は
もはや、
わたしの領域ではない、
彼独自のもの、
わたしが思いつかないものとなっていることに驚くのです。


そして感動します。




   



そして、
レッスンで毎回思うのです。





彼の中には
彼に与えられている
固有の感性と美しさがあり、
それは
引き出されることを
待っていたのだ、と。


そして
それを引き出すのは
彼自身なのだ、と。


たしかに
まだまだ教えることはたくさんあります。


しかし
何よりも
わたしがすべきことは、

「彼自身の固有の美しさや感性を
実際に表現していく力を
引き出していくのは彼自身である」

という認識をもち続け、
「音楽」が
今の彼に、
何を知らせようとしているのか、
を目を覚まして
感知し、
そして、必要だけを
丁寧に伝えていくことだ、
と思わされるのです。


「知識は人を誇らせ
   愛はひとの徳を高める」
という言葉があります。


音楽は愛そのものであるから、
誇らせるものではなく
愛であることが
レッスンから流れ、
彼の徳を高めるものであってほしい。





そのためにも
わたしは
自らの音楽に
向き合っていこうと思うのです。



なぜならば、
わたし自身が
自分に与えられている
固有の感性と美しさに感謝し、
音を仰ぎ、
音に向き合い、
音に流し出してゆくプロセスを
生きることは、



彼の、

また
彼女たちの世界を尊重し、
信じることができる、
と感じるからです。




ひとの可能性は計り知れません。

空に散りばめられる
満点の星のようです。



その可能性を
無限と見続けられるものでありたいです。



そして、
わたし、という自分の
ちいさな枠で関わるのではなく、


大海の如く
果てしなく広がる

豊かな「音楽」に
主導権を委ねるものでありたい。







新しい朝です。

どんなに天候が安定しなくても、
環境が変化しても、
信じます。

日毎にめぐみは新しい、と。

自らにあたえらている
目の前のよろこびを
コツコツ行っていくことで、
よろこびからよろこびへと
美しくかえられていくことを。


たくさんの感謝を込めて。

 
まえだやえこ

6:40
さいたまは美しい空が広がっています。
みなさまの地域はいかがでしょうか。