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こころが自由であるために


この夏
コンクールに挑戦していた子がいる。



私は
コンクールなど、
チャレンジの話題を
ほとんどしない。



ほかの生徒さんに
プレッシャーをかけたくないし、

それは 
ひとつのきっかけにしか過ぎず、
プロセスに過ぎないないから、
大騒ぎすると
見るべきものから
気持ちがはぐれてしまう。

そう思うからだ。





しかし、
よかった!

8月に予選を通過し
昨日は本選だった。



予選は聴きに行ったが、
本選は
私は教室にいて応援していた。




エールを送った。





そして終わったすぐに
生徒さん本人から電話があった。
 

「先生、今終わりました。
   落ち着いて弾けました。
   ありがとうございました。」


声は明るく弾んで、 
しかし謙虚に落ち着いていた。



お母様に代わり、
お母様もホッとされた声で、
そしてよろこんでおられる。


間違いなく
本人のベストを表すことができたのだ、
と確信した。






うれしかった。


何が嬉しかったか。

もちろん生徒さんの成長だ。


と同時に
わたしの内面に 
ごく個人的なよろこびがあった。



それは
どんなときもぶれない
音楽との関係が
わたし自身にあるということが
確認できた、ということ。




かつてのわたしは
コンクールに通したい、
音大受験生を育てたい、
など、
関心が外に向いている自分に苦しんだ。


そのことは
決して悪いことではないと思う。



しかし、
わたしの本質が1番求めていたことは
音楽の愛に浸り続け
対話し続け
一致し続けることだった。


だから
それらの外的に向けるエネルギーは
わたしの内面を揺らし、乱した。





セミナーやイベント、
研修に出て新しいことを取り入れることは
新鮮ではあったが、
生徒さんを実験している感覚にもなった。

なんだか居心地の悪さがあった。

その居心地の悪さがなんであるかを
自分と対話する中でわかってきたのだ。

ひとりで
音だけに向き合うことで
わかってきたのだ。




わたしは

そのままの生徒さんが
そのままで音楽の愛に包まれ 
満たされて
自らが音楽と深い関わりを持つように
なってほしい、
本当は思っていた。


そして
わたし自身が欲しかったことは
唯一、それだったのだ。



次第にわたしは
人からの評価や
見栄、虚栄心を捨て始めた。

それは痛みをともなった。


と同時に
音楽がその痛みをやさしく包み
癒し続けてくれた。



今私は
生徒さんひとりひとりを心から尊く思う。
うまくしよう、とか、
結果に結びつけよう、とか
ほぼない。

しかし、
名曲を誰よりも愛して紡ぎ続けていく
本物の力は
全ての生徒さんに伝え
教え続けられる者でありたい。





「あなたの富があるところに
あなたの心はある」


私の富は
音楽の無条件の愛の中にいる、
ということだ。

だから
それ以外は
手放していきたい。

これが私のぶれない
立ち位置だ。





その上で
自ら望んでのチャレンジには
惜しみなく応援できる自分に
今回気付けたのだ。

そのことが
こころから嬉しかった。










本選をさらに通過し、
最終へ行くのだろうか。


それはわからない。



この子は
コンクールが終われば
次なるチャレンジのために
レッスンを月に一度にする予定だ。




どんな形になってもよい。
どんな形になっても
わたしは生徒さんを尊敬し
迎え続ける。



ひとりひとりにとって
音楽がいのちの糧となり、
希望となり、
今を精一杯生きる源となってくれたなら。




だからできる限り
自分を消して
音楽の願いを流し出す管となりたい。


音楽と生徒さんの間に立つのではなく
生徒さんが
直接音楽と対話できるように
そのためだけに存在したい。




20日木曜日は
主人の47回目の誕生日だった。

指揮科で学んだ主人は
今は企業人であり、
テニスをこよなく愛するものだ。

私は主人の音楽に向き合う姿勢を
尊敬していた。

そして、
音楽を愛し、
音楽に自らを捧げていた主人の魂に
今も
震えるほど素晴らしかった、
と思っている。

多くを彼から学ばせてもらった。
音楽の本質を。




今、思うのだ。

見える形に、ではなく、
見えないところに目を注ぎ、
全人格を惜しみなく捧げていくところ、


たとえ願っていた形がなくても、

その存在に響きは伴い続け、
人には想像だにできない豊かさを
天はもたらしていくのだろう、と。


だから、目の前の状況に一喜一憂せず、
見るべきところを見て
よろこび満たされて歩もうと思う。




ああ、母の家に行きたい。

母の家には 
ゆっくり時代を経て
慈しまれ使い込まれてきたもの、
選ばれてきたものがあり、

祈りの静けさと温もりに
満ちているからだ。


しかし
こころの故郷は
今、ここにある。

私の心の只中に!


さあ、
今日も新しい朝が来た。

日ごとに恵みは新しい。

欲張らず、
日課をし、
音の願いに満たされて歩もう。




こころからの感謝を込めて


まえだやえこ