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いてて、も感謝


土曜日の晩御飯作りで
右手の親指の爪を
スパーッと切ってしまいました。

冷や汗たらりんこ💦

深過ぎて痛みが全く感じません。

そのうち、
身体中の知覚が親指に集結して

ドクンドクン
と痛みだしました。




やっちまった(T . T)




日課はそれでも したかった。

しなければならないのでなく
せずにはいらない。
したいのです。



痛む指にバンソコウを三重に貼り
弾いてみました。



鈍い痛みがあり
気味が悪かった。



気味の悪さと同居しながら
弾き進みました。


と気味悪さを感じないで済むように
また
音楽の流れが崩れないように
自然に親指以外の指が
親指をかばっていることに
気がついたのです。



またある曲では
無意識に
速度をすごく落としてもいました。



ところが
13曲目、14曲目の
カンパネラと
ハンガリー狂詩曲第2番を目の前にして
クラクラきました。

親指を使わずには
弾けなそうだったからです。

果たして弾けるのかな。



こわかった。

おそるおそる
弾き始めてみました。



すると、
和音では親指に当たる音を抜いたり
そっと鍵盤を触るだけにしてみたり、
とっさに色々反応しようとする
身体でした。


身体に秘められた能力って
すごいのですね。



もしかしたら
指自体が
脳を持っているのかもしれないな、
ふと湧いてきました。

はっ、としました。
それはすごい発見だと感じたからです。





やがてかばって弾いているために
肩や首が
こり始めていきました。



なるほど。
それぞれの場所と
こんな風に連結しているのですね。



かばってくれて
すぐにコリが生まれたのですね。



少し手を休め、
コリをさすりながら
なんだか
感謝が湧いてきました。


このコリに「ありがとう」を伝えながら
ゆっくり湯船に浸り
指圧をしよう、と思いました。




そのうち、
弾きながら
こんなことが浮かんできたのです。

🌱
そういえば、暑い真夏のある日
「缶詰の缶でスパーと切っちゃいました。」
大人の生徒さんが
おっしゃっていたことがあったな。



「学校で彫刻刀を使っていて
切っちゃったんです」という
小学生がいたな。


「運動会の練習の騎馬戦の時に
腕を痛めました」
という中学生がいたな。


「いたた」のみんなのエピソードが
次から次へと
思い起こされてきたのです。


そうです。
みんなみんな
様々な出来事溢れる日常の中で
ピアノを弾いているのですね。


だから
怪我もあり、
また体調を崩してしまうこともある。



自分が指を切って痛んだお陰で
そのときに どう声かけしたら
気持ちが落ち込まずに


自分のしたいからやっている事に
かわらずに向き合うことができるか、を
思い巡らすことができました。


だから
痛みは感謝であり めぐみの時となり
かえって
幸せが深まりました。


素晴らしいなあ。
すべてはめぐみなんだなあ。



わたしは静かに
こんな風に 
自分に声かけをしていたように思います。


「やえちゃん!ドンマイ!
こういうことも あるよね!

ショボンとしちゃうよね。

うん。

うん。


そんななかであっても
音のなかに行きたいんだね。


出来る範囲で 弾いてみたい、
と思っているんだね。

無理しないでいいのよ。


それでも弾きたいんだね。


きっと
きっと
音の世界は 新しいよろこびを
やえちゃんに 
与えてくれるに違いない。 
そう信じているよ。
だいじょうぶ!」


こころは穏やかでした。

弾きながら
ネチネチになってくるバンソコウを
何度か取り替えながら
日曜日も月曜日も火曜日も
穏やかに痛む指のまま
響きにいました。


まだ感覚が気持ち悪いです。
爪がないところが
いやあな感覚なのです。


それなのに
不思議に
感謝がいつも以上に湧いてくるのです。
なんて幸せだろう、って。


昨朝、
そのなかで生徒さんをお迎えしました。
雨でしたが
なんだか こころが
晴れ渡る空のように
広くされていた気がしていました。

そして
雨の中
電車とバスを使って
遠くから来てくださる生徒さんに、
また、同じ浦和からでも
雨のためにバスでいらした生徒さんに、

ピアノとの深いよろこびを
今日もらって帰ってもらおう、

って
いつも以上に
こころの深いところから
響きが湧き続けるのを感じました。


この場所にいらっしゃる生徒さんに
よろこびが満ちますように。


ご自分を大切になさり
ご自分の人生が
音を通して
どんなによろこびに支えられているか、
をご自分のものになるように
導いていきたいです。




ほんとうに  ほんとうに
どんなときも
だいじょうぶなのです。



音の世界は
私の知性や経験を超えて
知恵と勇気を与えてくれるから。



だから
生徒さん達に
「どんなときもだいじょうぶ!」
で、今日もお迎えしたいです。



 
新しい朝が来ました。 
さいたま市は朝から雨です。

みなさまのところはいかがですか。

どんなに雨が降って
雪が地に積もっても、

その空の上には
いつも
めぐみを降り注ぐ太陽があるのです。


今日はどんな1日になるのでしょう。

わくわくしてきませんか。




お読みくださりありがとうございます。


綴ることで、
ふつふつ湧いている自分の思いが
くっきりわかってきます。

だから
この「音と生活日記」は
わたしのいのちの糧なのです。


そしてこんな拙いものを
読んでくださる方がいてくださることは
本当に感謝です。


わたしは
生徒さんのお写真を使わせて頂く際に、
使わせて頂いても宜しいですか、
とお伺いいたしますが、

快く「もちろんです。どうぞ」
と、みなさまが言ってくださるのです。

このことは
当たり前じゃない  めぐみだと思うのです。



ひとりのお母様は
このように綴ってくださいました。

「こんにちは☔
ご連絡頂きありがとうございます😄
写真はどうぞこれからも
ご自由にお使い下さい。
先生のブログのファンの一人ですので、
むしろ使って頂いて嬉しいです🎵
旅行の日記を読んで、
優雅な旅行気分を
お裾分けしてもらっちゃいました❤️

土曜日も楽しみです❤️」



有り難くて胸があつくなりました。





だからこのページは
生徒さんとお母様方と、

また
お読みくださるみなさまと
響きあって
まるで
よろこびの大庭のような場所で
ありたいと願います。


自分に正直で
ありのままに素直に綴り、
そして
書いたことは
音楽の神様に捧げていきます。


わたしはちっぽけな者。

この小さな者の小さな器は
満たされては還し、
満たされては還しをしていかないと
いっぱいでパンクしちゃう(笑)

キャパが小さいからです(笑)

だから書いたあとは
音楽の神様にゆだねて、
どなたかおひとりにでも
勇気と希望を感じてくださる方がいたら
うれしいです。

また
その後も
響きが
その方に
個人的に触れてくださる、と信じ
毎日綴っていきたいと願います。




長くなりごめんなさい。



どうぞ
今日もお元気でいてくださいね。



まえだやえこ

お読みくださった感謝を込めて、スタバのクランブルアップルパイをどうぞ🥧^ - ^