皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
強い寒波が到来。
さいたまでもマイナス気温になりました。
私はこの新年、
インフルエンザBになり、
本当につらかったです。
今は、身体中の毒素が
インフルエンザと共に
出て行っちゃった感じです!
すっきりしました!
時々、風邪やインフルエンザになることも
いいかなと思いました。
病の辛さが分かるから。
弾きたいのに弾けない、弾く力が湧かないことも分かりました。
そして弾くこと以上に、大切なことにも気づくのです。
弾けなくても、弾かなくても
何にも持っていなくても、
音の響きは私の中にありました。
静かないのちの響き。
ベートーベンやバッハのように整っているものではなく
ただ、いのちの鼓動がありました。
これこそ音楽だなと思いました。
この年末年始で
たくさんのお問合せを頂き
体験レッスンをさせて頂きました。
将来DJをしたいんです。
そう話してくれた高校3年の男の子。
大学は決まっています。
パソコンで音楽を作りたい、とも。
全くの初めて。
きっと彼は、状況状況を音で表現したいのではないだろうか、と思いました。
その時々の状況や感情を音にのせる即興を導き、
さらに、あらゆる感情表現をなされたもの、楽譜を読み、知り、感じ、弾く。
また、指が自在に動くように、簡単なテクニック要素も入れていきましょう、と話し、
それぞれを15分ずつレッスンの中に盛り込むことを決め、スタートをきりました。
きっと、音を借りながら、自在に多くの人に
勇気や力、慰めや癒しを流し出すようになるでしょう。
また、ドラマ、のだめカンタービレに夢中になり
観て、観て、観てきた若い女性。
すでに会社経営者であることにも驚きましたが、
「道化師の朝の歌」という、ラヴェル作曲の上級者が弾く曲の1ページ目を
まるでピアニストのように没入して弾かれました。
息をのみました。
曲の意思とひとつになった弾き方に驚きました。ま
教わることだけに頼ったひとは、こうはなれないかもしれない、と
直感で感じました。
好きこそもののじょうずなれ。
好きでたまらない、弾かずにはいられない人には
魂のほとばしりがあります。
シューベルトのソナタを、
歌い込み、理解を深め、新たに弾き直していくことに喜びを持ち、
スタートをきられました。
ピアノの先生のお母様と共に
ピアノに夢中になってきた少女も
凄かったです。
身体中で感じてチェルニーを弾く。
テンポ速い曲を見事に弾き切り、
アグレッシブで
潔く、美しかったです。
自分の心が震える演奏を紡ぎだしていってほしい。
弾かずにはいられない思いをどうしたら表現できるのかを
模索して、飢え乾いて、渇きの中で自らの中から汲み上げていってほしい。
その模索し、探していくことに伴いたいと思います。
私はピアノを「おけいこ事」とはあまり思いたくありません。
「おけいこ」という言葉には
先生と生徒、この結び付きが連想され、
私には、少々重くて不自由な感じがするからです。
音楽は学ぶより、生きるもの。
音楽はいのちのほとばしりであり、
いのちの輝きであり、
よろこび満ちる生命への賛歌。
先生も生徒さんも
音楽だけに向き合い、
お互いに響きあうものでありたいです。
ピアノを弾くすべての人が、
ピアノに触れる時間は、
いのちの源泉に触れる時間であって欲しいと願いながら。
お母様である方も来られ、
美しいポピュラーソングのピアノソロバージョンを一気に弾き切られました。
子供たちの習い事の送迎、
仕事、家事でフル回転の毎日だそうです。
そのなかで弾きたくて、時間を見いだし、弾き深めてこられたことが音から溢れ流れ、胸が熱くなり涙が自然に流れました。
通いたいレッスンをどんなペースだと有意義に続けられるか
考えておられます。
私はお伝えしました。
「弾いていない時間も弾いている感覚になります。
ご自分の立ち位置の中で心地よく続けられる形式を見つけてください」と。
楽器は、響きあう空間は、
また、先生である私は
いつでも、ゆったり待っています。
この教室は、誰でも、どんな状況にあって、どんな願いを持っておられても、
音と響きあい、感じていることを表現したいと願うひとが、らくに訪ねられるところ。
音の世界は、ひとりひとりに響きあうことを願っています。
ひとりひとりに与えられた生涯が、音の響きに満たされ、
音楽が1面だけではなく、
音楽から流れる、人格を高め、しあわせが与えられていることを知っていく感性が
自然に、心地好い中で育まれますように。
寒さ厳しい日々、どうかあたたかくお過ごしくださいね。
感謝を込めて。
さいたま市浦和区ピアノ教室 まえだやえこ
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