感謝にふくれる


毎日が感謝でふくれる

最近
私は そう思わせられている

生徒さんから教えていただくことも
沢山ある。

そして
レッスンのなかで

「音の世界」から教えられることも
沢山ある。


そのなかでも

最近私が強く思わせられていること。


それは

「ピアノを弾く」ことは
力はいらない

ということだ。

これは
今師事している 雅子先生のレッスンから流れてきている メッセージが
私の内側で
統合されてきた実りのひとつだと思う。


雅子先生が
モスクワ音楽院大学院時代に学ばれた
衝撃的な気づきは
今なお
玉葱の皮が一枚ずつむくように
雅子先生の先入観が剥がれていかれている
と先生は感動を持って話される。






いかに音の世界には
愛に根ざした秩序があるか…




これは
人知をはるかに越える






ピアノを習う

ピアノを練習する

弾けるようにがむしゃらに動かす


これらの概念は

なんと力みを含むだろう、と
今私は感じている



果たして
音の世界は
それを提供したいのだろうか



音の世界は
神秘である


音の世界は
愛である


音の世界は
やさしさの極みである


音の世界は
永遠に続く希望である


具体的な
音の鳴らし方を雅子先生より知り
初めは途方にくれたのを
今懐かしく思う


こんなに
音を
アイデンティティを持った
いのちの息だと
関われるなんて

なんてことだろう!と




ときが流れ

その感性が私のスタンダードになってきている



とは
音を立てない


愛とは
自力我力を突き抜ける


真の愛を知らされるとき
自分の力の小ささに驚かされる


しかし
その小ささが
めぐみとなる


「私は弱さを誇ろう。
弱いときこそ
わがうちに住まう愛なる方が
働かれるから」
とバイブルでパウロが語ることが
現実にわかるから






真の愛に触れるとき

「私」という存在は消えてしまう


美しい絵画を目の前にしたとき
見入り


持っている解説書も
つけてきた知識も
なんの価値も感じないほど
こころうたれ

手放されていく


これらを
私は今
レッスンで体験しているのだ。


プロフェッショナルな生徒さんと

ではなく


日常を楽しむためのピアノとして
天真爛漫に通ってくれる
生徒さんたちの
普段着のレッスンに訪れる
音の世界からの福音の瞬間瞬間なのだ

ピアノ以外でも
感動は訪れる


母のベランダが
母の願いに叶えられた
さいたま市緑区ピアノ教室
おとぴあの まえだやえこ