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だから弾く〜悲しみの果てに見出されたもの


人の1日の思考は6万個だそうです。
金メダリストも
こどもも
おとなも。

どの人もだそうです。

その6万個の思考を
何に集中し
エネルギーを向けるか。

ロシアピアノ教育の代表的な教師、

巨匠リヒテルやギリレスの師、
ネイガウス師の
「ピアノ演奏芸術」を
1行ずつ読み深め始めました。
14ページ目は何回読んでも
もっと深く理解したい、と思わされます。

ネイガウス師が
偉大なピアニストリヒテルのレッスンをしていた際のエピソードは
いのちの深みに沁み込みます。

少しご紹介させてくださいね!↓


ある非常に難しい、
ポリフォニー的


※いくつもの旋律が組み合わせられて複合的な音楽と成立している様子


とてもいきいきとした楽句のところが実にうまく弾けているのに注目せずにはいられませんでした。

リヒテルは言いました。

リヒテルの言葉

「僕はその箇所をやすみなく2時間練習したのです。」



反対に
女子学生との会話で
彼女が集中して練習していないために
時間をいかに無駄に使っているか、を知った師は

次のように話します。



君が今 鍋でお湯を沸かそうとしています。
まず鍋を火にかけなくてはなりません。
そうしたらお湯が沸騰するまで
鍋をおろしてはいけません。

ところが君は、
温度が40度か50度になったら
そこで火を消してしまい、
何か他のことをしています。
そして再び、鍋のことを思い出します。
その間にお湯はすっかり冷えてしまい、
また最初からやり直しです。
そんなふうにして
その繰り返しをうんざりするまで続けるのです。
こうして沢山の時間を失い、
その上
君の労働意欲までも低下させているのです。


一小節を2時間かける意味は
リヒテルの深みの熱量にあると思います。

弾くと数秒の部分ですのに、
2時間

生きた振動として
溢れる光として
躍動感をあらわせることを願い、
若かりし日の巨匠は
1日6万個の思考を
ここに投じたのですね!

大好きなスタバも
最近は購入してきて
我が家でいただくようになりました。

我が家ですと
楽譜を見ながら…曲を聴きながら…
または
愛するプティと微笑みながら
過ごすじかんにできるからです。
プティは10歳です。

完全手作り食です。

ドックフードを食べなくて
どれだけ病院で診察を受け続けたかわかりません。

フードのサンプルも
どれだけいただいてきたでしょう。

医師は
ドックフードは完全栄養食です。
合うフードを探しましょう、と
指導し続け、
私も従おうと努めました。

しかし食べないのです。
空腹で胃液を吐くプティを
これ以上見たくなくて
思い切って
手作り食をあげてみました。

すると
味わって味わって
美味しそうにペロリと平らげました。

小屋から出てきて
もう一度、お皿の後ろにこぼれていないか見に行き、
お皿を舐めて満足に出てくる姿。

この時を境に
3年前
完全に手作り食に切り替えました。

以降、食べないことは一度もありません。
前回のブログ 
日常すべてが響きとなる

に書かせていただきましたように、
すべての感情を音楽の世界で表すことができる時、
それは深い共感性になります。

我が家のプティの
ごはんのよろこびも

大好きなスタバの
プラントベース シュガーロールで
おうちカフェタイムのときめきも

すべてが振動数を持つのですから、

それは私から
プティから
きっとよろこびとなり
世界へ流れていくのでしょう。


恩師から「響き」の深いレッスンをうけるようになるにつれ、


「生活が高い振動数となるとき
私自身の生涯がよろこびとなり、
それは私だけにとどまらず、
家族に
プティに
お人に
世界へと
よろこびは波及していくのだ、」


と本気で感じるようになってきました。

だから私にはピアノを与えていただけたのでしょう。

愛と感謝を持ち
真摯にピアノを弾く振動数を
流しなさい、と。
最後に
どうしても分かち合わせていただきたいお話しを書かせてください。


昨日初めてお願いしました
お洋服のリフォーム屋さん。
小さなおうちでされている
おばあちゃまのお話しです。

お店には般若心経の写経が飾られておりましたので、
おばさんが書かれたのですか?
と尋ねました。

「私じゃないよ。
でも般若心経なら毎日唱えているよ。

ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう…

唱え始められ、最後まで…

じっと目を閉じて聞かせていただき
気づくと
古いけれど整っている小さなお店は更に神聖な空間に感じられました。

20年絶やさず
6体のお地蔵さんにお着せするために毎年作られておられる
赤いお帽子と
お前掛けの編みかけが 
遠くに優しい光を受けて佇んでいました。



その後、世間話のなかで ポロッとおっしゃり、知りました。

おばさんの一人娘さんは19の時に
恋人に殺されたことを。  

驚きと押しつぶされるようななんとも言えない思いで打たれてしまった私のまえで、

恨みや憎しみのない
空な心がありました。

おばさんはご一緒にいて
確かにそうでした。
間違いなく伝わりました。

「恨みや憎しみ、悲しみはどうされたのでしょう。私でしたら生きられません。」

するとおばさんはおっしゃったのです。

「あちらは殺したことを生涯悔いて生きるでしょう。
私、といえば、
憎んで恨んで生きるのか、
今日を感謝してよろこび生きるのか

一生涯は一緒!」



涙が溢れてなりませんでした。

と同時に湧いてきたのです。

私は弾く。
私は弾く。

おばさんの無いわけはなかった
かつて受けられた
深みにあった
悲しみや恨み憎しみ。

空へと還ったそれに

音と響き合うものにならせていただき

離れている場から
言葉ではなく、
振動数で共感させていただけるかもしれない。
 
おばさんの知らずのところでさりげなく…

実際のところのおばさんには
音を立てずに…



そして
殺されなくてはならなかったでしょうか。
一人娘さん。


きっといきていらしたら、私くらいのお方。

ひとりの娘だった方。

優しい将来が開けていた方の
その御魂に


おかあさんであるおばさんとの
共鳴があることを祈りながら
私は弾きたい

と。



生かされている とは
なんと美しくあることができるでしょうか。






一週抜けました後の今日のブログは
長い長いものになってしまいました。

それですのに
お読みくださいまして
こころから感謝いたします。

ありがとうございました。


猛暑日が続いておりますが、
お身体を大切になさいながら
お元気でお過ごしください。


沢山いただきましたお野菜で
ヴィーガントマトリゾット🍅を作りました。

今日は
トマトパスタを🍝
さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ