弾けるようになるというよりも


弾けるようになるために弾く 





そのねがいが
最近



すこし 
無理している感覚を
感じるようになりました。






弾く 
いちおん いちおんに

温度を感じ




やさしさを見




愛を知っていけている





それだけで

じゅうぶんすぎるほど

充分なのに




「弾けるようになるために」

という感覚が





なんだか

よくばりのようにも 感じるのです。




私には

曲には
人格があるように
感じるのです。





ともに
ときを 過ごし

ともに 見えるものを
見せてもらい




その優しさ



その美しさ




その素晴らしさに




ただ
ただ

とどまる



いずれにしても


私のもの ではない。






「弾けるようになる」と口外し


その意識を強く
クローズアップするときに





それは
我が物になっている感があり





それで
他者を我が物とするような
分離をひとつにする強さを
感じるのだと思うのです。





愛するだけ


感謝するだけ


すると
不思議に 整えられていく

すると
やさしさが
曲と ひとつとしてくれて

弾けるようになっていく…
さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ