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しずけさ




おとは「永遠」。








かぎりがある
肉体のいのちの私が







ひとたび

おとの中に入るとき




永遠のなかに



ひとつとされる






ちいさなこども 


少年 少女






思春期







青年



円熟期




熟年期









どの時代にも



響きあい


到達したいところは












「わたしのなかに

   永遠のやさしさが

     すまっている」

       

感覚ではないでしょうか。






すべてを包む静けさ


それは

うちなる


「我が家」。


ここでくつろぎ


ここで安らぐ。  
 



どんな努力もいらない。




むしろ「努力」





そのくつろぎから



遠く離れてしまうからです。



さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ


菜食になり2年3ヶ月が経ちました。


きっかけは

健康のためではなく


ひと以外の
どうぶつや
自然への 
ひとが成す
扱いの残虐を知ったからでした。






肉魚
乳製品

蜂蜜をやめました。





時の流れで気づきました。


不調がなくなっていることに。




30年以上悩まされてきた偏頭痛も
肩こりも



ひどかった生理痛も
これもひどかった子宮内膜症も

いつも張って痛かった
脇の付け根から診断された
乳腺胚嚢症も

すべて

すべてが消えていました。




穏やかに生きる

それは
自分のいのちに


他者の犠牲を入れないことだと

今 感じています。


主人は
外食が多く
外では
ヴィーガンではありませんし

ヴィーガンになる前からの
おともだちは 
ヴィーガンになった人はいません。



それでも
一緒に外食の時は

ヴィーガン対応のお店を探してくれたり、

合わせるよ、と
言ってくれます。



外食は年に数回になりましたが


家でのお料理は
うれしくなりました。

何より菜食はバラエティ豊かで


目にも味覚にも優しくて
しあわせをくれます。



やえこの菜食を食べたい


と言われることもあります。









また



パンやお菓子を作って
贈らせていただけることも
たのしみです。







オーガニックや
フェアトレードを選ぶ
心の平安





そして

搾取の痛ましさの現実に
さらに目が開かれてきて

痛みを知るほどに



いのちは
よろこびと安らぎにあることが
大切で在ることの気づきが深まります。




食材をひとつひとつ手に取り
読ませていただいてから
選ぶようになって


エンゲル係数は上がりました。



けれども

同時に 
ものや
作り手の方の願い
が上乗せされているのですから

たいせつな応援となりますし、


感謝することを
知ってきました。




お金とは
感謝であることがわかってきました。


なるべく

ペットボトルや

100円ショップの製品や

ファストファッションは
手にとりません。


簡単にかえて

簡単に捨てる感覚を

手放していきたい、と
思ってきたからです。





そして
ここはこの半年での大きな変化ですが、
サスティナブルやヴィーガンを
知ってほしいな
との密かな願いも


手放し続けています。





それも


力 だと気づきはじめたからです。









環境汚染や
環境破壊


異常気象


を生み出してしまうな、と
感じるようになってきたからです。




知ってもらいたい
という 願いの力


それも力






ちいさな火種は



重なり合うと

内側に

痛み

悲しみ

苦しみに
繋がるように感じるからです。



その

に気づいたら


無理にかえたり

後悔したりすることも手放し


ただ
知ったところに

くつろいでいきたいのです






もともと創られた


ひと


どうぶつ


自然


すべては


美しい恵みに包まれています。





その簡素さ


穏やかさ



大切にしていく よろこび




しずけさ


もどりゆくときに



呼吸も思考も



さらさらと なめらかになり



気づいたときに


不調和が次第に
消えていって


これは


本来のいのちに還ることが
もたらしてくれている
神秘でしょう。



その神秘を生きることに
招かれている 




知りはじめています。


私 が消える時

ひとつに戻っていく。