フィルターより大切なもの

おはようございます。お元気でいらっしゃいますか。私は昨日今日と主人の早朝出勤の為に浦和駅まで車で送りました。いつものウオーキングトレーニングは30分遅れのスタート。それでも車を車庫にとめ すぐにプティに呼びかけます。「プティ、お散歩行くよ!」
いつでもスタンバイのプティは飛び出してきました。
お陰でたっぷり歩き、トレーニングも終えるころ雨が降りはじめました。

いつもと違うときには新たな恵み

いつもの習慣がやむ終えずできない時、「やっぱりこの習慣は私には続かないかしら」などとふと湧いてしまうことがありました。

しかし、私は変わりました。

習慣や状況環境以上に大切なことに心の目を向けることがわかってきたから。


なぜその習慣を大切にしたいか、の源にいること

わたしがウオーキングトレーニングをする理由は、プティとおうちをとびだして 世界を歩くため!
プティと外の風を身体いっぱいにうけて「ちっぽけな自分」を包む「広い広い世界」を感じて思いっきり歩くため。


たとえ雨が降りそうな空であっても、その空を突き抜ける上の上にはひかり輝く太陽が凛座しています。

しばし響きあいわかちあえた恵み

体操後に、いつも藤棚の下で背筋を伸ばし、穏やかな雰囲気に包まれ、般若心経を唱えている紳士がいらっしゃいます。

般若心経の後にはどこまでも振動する声でロングトーンをされている。そのすべてと調和する声の質の美しさにこころ惹かれていました。

会釈や、ハイタッチをしあう間柄にはなっていましたが、ゆっくり話すことなどありませんでした。

しかし昨日、15分ほどでしょうか。ベンチに座りプティを膝に座らせ、おはなしをきかせて頂くことができました。

会社経営をされている方によく見られる 社会全体の中の「わたし」という個人が、社会全ての担いも感じている、という寛やかな視点。

お話は 私が普段関心を持ったこともなかった「犯罪学」「法と良心」など、短い時間なのに話題は多岐に及びました。

「すべてがひとつのなかで それぞれに響きあっている」

そのわかちあいの余韻は帰り道の地面を踏みしめ歩く大地にまで流れるように感じました。

スクリーンに映し出されるのは光。しかしスクリーンには「フィルター」を通して映し出される。

こんなことを思いながら歩いていました。どういうことかしら、と自分に問いました。


わたしたちは「フィルター」を持っていて、そのフィルターを通して目の前のスクリーンに映し出しているのだ。それが現実世界となって現れているのだ、と思いました。

その紳士は 来る日も来る日も早朝にひとり、般若心経と発声をしています。自分の内面と振動を毎日感じながら。

私も同じかもしれません。
ピアノを弾くということを通して、自分の内面と振動を感じながら私の源へと戻っていく時を過ごしていたい、と願っているのだ、と気づかされました。


フィルターに焼きつけられるネガは空の上のひかりの想いでありたいな


いつも心の目を「フィルター」や「スクリーンに映し出されること」ではなく、フィルターを通過しようとしている「ひかり」に向け、意識を整える時間を僅かずつ、1日の幕間に持っていきたい、と そう思わされはじめました。



今日、という1日のスクリーンに「ひかり」が映し出されるならどんなにこころ穏やかであれるでしょう。
そのことを「意識」して過ごせますように。



いつもありがとうございます。
どうぞ今日もお元気でいてくださいね。そしてお幸せでいてくださいね。

沢山の感謝を込めて
さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ