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自然にいのちが向かう方へ

おはようございます。お元気でいらっしゃいますか。さいたま市緑ピアノ教室のまえだやえこです。
今朝の外はピリッと肌寒く感じました。おひさまがあがって間もない早朝は特に気温差がはっきり感じます。プティにジャンパーを着せようとします。お散歩が嬉しくてたまらないと尻尾をふりふりです。動くので違うところにあんよが入ってしまったり しながらも笑顔になってしまいます。朝がどんなに早くても飛び起きて出かけるのを待っているプティ。彼を通して 本来いのちに備わっている「よろこびの矛先」見せてもらっているようです。
昨日、聴いたことのない音色が出るピアノになって驚きました。そして浸り弾きました。満たされた想いが調律師さんへのお礼のメールとなっていました。

そして頂いたお返事。そのお返事から また「よいしらせ」を受け取りました。


全てご自身が奏でています、ピアノは優しくそれを支えているだけ。




調律師さんの言葉です。

ご自身が奏でている。 



今朝未明に気づいた このメールの一文。その言葉に しばし問いながら過ごしました。


そう、奏でずにはいられない 
その ほとばしり。

心のなかには 確かにその奏でずにはいられたいものがあるけれども、
それが具体的に 
どんな音色で どんな立体形で 
どんな質感で…あるかは、おぼろげではっきりとはしていない。

だからその「自らの心で鳴っている響き」を聴き、実際にピアノの音に出してみるんだ。

そのプロセスの積み重ね。


大きな曲を仕上げていく、と考えたら膨大過ぎて感じ、めまいを感じました。と、しかし すぐに 苦笑いにかわりました。

ああ、すぐに形になるものではないのに、なぜ 先を急ぎ 、焦りを感じてしまうのだろう、と思ったからです。

発表会、コンクール、受験、コンサート…。

それらは全部 その「決まったとき」があるから 集中してむきあう励みになる、ということはあると思います。

しかし、1番大切なことは「かたち」へのプロセスがよろこびだからこそ する。



もしかしたら、「即効性」や「形にする」という概念は.本来の「ひとの本質」がいのちの向かいたいところに向かうエネルギーの使いみちを 違えさせてしまうことが少なくないかもしれません。

ひと は いのちの源に向かって


ほんとうの 美しさに出逢いたい。
ほんとうの 愛に身をしずめたい。

この想いは この「ベヒシュタイン」という楽器を手繰り寄せてくれました。



私はベヒシュタインを買えるようになる前から、憧れを持っていました。「いつかベヒシュタインというピアノを日常で生徒さんに弾かせてあげたい!」と。

私自身ももちろん弾きたかったですが、小さい頃から「歴史ある良きもの」に触れられる生徒さんを想像すると、ワクワクしたのです。

いのちがキャッチしたものを音にする


書いてあるから弾くのではなく、
書かずにはいられなかった作曲家のほとばしりと響きあい 弾かずにはいられないから弾く。

日常に溢れているなかでキャッチした感覚を 音のなかに見出すから弾く。

それが「ピアノ」だと あらためて思い深まった昨日でした。




お読みくださりありがとうございました。
みなさまは 今 どんなことをお感じになられましたか?


あたたかいラテを淹れました。
ラテが喉を流れます。
おなかに行き着くまでの道を温めて流れていきます。

新しい日がはじまりました、
今日はどんな1日になるでしょう。

幸せをいっぱい味わえるといいですね。

ううん。すこしでもいい。感じて味わえたらいいですね!

みなさま お元気でお過ごしくださいね。私もみなさまと一緒に生き生き過ごしますね。いつもありがとうございます。 
沢山の感謝を込めて
さいたま市緑区/ 浦和区ピアノ教室
まえだやえこ

*最後の写真は10月の母の家の玄関。秋を集めたパレット。刺繍の作品です。