父とのこと❷父の残した 言葉

「ひとつ」である 平安だけでいい


父が天に還ったころ、私は忙しさのピークでした。仕事面だけではなく、こころの領域においても 騒がしさの中にいました。

帰省したある日  父の運転で何処に向かっていたのか 忘れましたが、父は 言いました。

枝葉末節(しようまっせつ)って言葉があるんだ

本質から外れた些細な部分、主要でない物事のたとえだよ。


本質からずれて 考えすぎたり 騒ぐのは よしなさい。
何が大切なのか 見極めなさい。


今 は よくわかるのです。

当時の私は 「外」や「他者」 「世の中の 価値観」を 自分の基準値にしていたことが。


今は ちがいます。



昨日 練習している時に こんなことが 起こりました。

録音しながら練習していて「ああ、私はまだまだ いい演奏になっていない」と、そう思った瞬間、悲しくなりエネルギーが削がれていきました。

私の高校大学時代、確かに まだまだだと感じたから 叱咤する想いから発されたのでしょう師の言葉。その時の湧いていた感情と気づかないうちに結びついてしまう瞬間。今は少なくなったのですが、それでも時折 起きてしまいます。
「あなたの頭はザルなの?」
「何処みてるの?もう嫌になる」
「信じられない。」
「このくらい できないの?」

この種類の言葉。
大学2年で私は病になりました。
きっと 病まない人もいるでしょう。
それをバネにして頑張る人もいるでしょう。

でも、今 思います。


バネにして頑張った暁に 美しいものは 生み出されるだろうか。
いえ、生み出されるかもしれない。
でも、ひとを寄せ付けない 「無細菌の美」に 私は魅力は感じないのです。

私が感じる魅力は
「すべての人に開かれた愛」
「病のなかの魂にも しずかに触れる愛」
「音をたてない やさしさ」
です。


その瞬間に何が残るか


大切なひと…大切なひとを見送るセレモニーのなかで、あの瞬間だけは 耐えられない…それは 身体を火葬の釜に入れ、「がっちゃん」とロックされ、担当の方が こちら側に 深々 礼をされる その流れです。


どうしても あの瞬間だけは耐えられません。

ところが、その耐えられない 瞬間と重なるかのように その人の「存在のありどころ」がリアルに 私に残ったことを知り深まってきた気がしている不思議に 驚きを感じます。


さかのぼって


高校時代に毎月東京にレッスンを受けにいき、帰りには 降りる駅もわからなくなるほど 疲れてしまい 乗り過ごしてしまう。
改札で待つ父は、私が降りてこないので車掌さんに内線連絡で聞いてもらいます。「ああ、その子らしい高校生が乗っているそうですよ。ああ、確かに乗車していますが降りなかったそうです。」。
私がまだ乗車していると確かになったら、先の金沢まで高速を走らせる。先の駅で私を迎えてくれました。

その高速走らせる車中では 両親の間でこんな会話がなされていたそうです。

「やえこの心が潰れてしまったら元も子もない。こんなピアノに意味があるのか。その世界の金銭感覚だって…。やえこにとってよいことなのか.……?。」
父は母にそう語る。
しかし、母は乗っているところを降りるわけにはいかない、と 。



その後、私は 東京へ出ました。

正直なところ、音大生活の大半には よろこびはありませんでした。日常は出逢う人によって 大きく影響されるものだと今はよくわかります。
私の日常は「師」によって 大きく影響されていました。

「師」を通しての音楽から愛を感じたことはありませんでした。
暴力的な言葉と 時に 体罰。


しかし、残り1年、というギリギリの大学生活で 幸いにも 素晴らしある師に出逢えました。大学の残り1年に師事した「三宅民規教授」と、大学4年に出逢った現在の主人、当時指揮科の学生だった主人。このふたりは音楽はどれほどの喜びであるか、音の神秘とはどれほどのものか、を知らせ続けてくれました。

その2人の存在は それまでの時間を補って余りある恵みでした。
また、こころから信頼できる親友が与えられたことも加えておきたいと思います。


卒業してからの24年間



20代 30代は「緊張と できの悪いのを克服するために練習せねばならない」というストイックな音楽時間の在り方を払拭できずにいた私、と   「幼い頃から感じていた音の愛…三宅先生と主人から 再び知り始め得た音の愛」に生きたい私、と  狭間で戦う日々だったと思います。

その最中の私に父がかけた言葉が

枝葉末節を生きるのはやめなさい

でした。


すべてが1枚の織物となる


すぎてみれば その時代も 「よし」です。
なぜならば その苦しみを通して もがきながら 「ほんとうの生きる よろこび」を模索して 学び続けることができたから。
その教育の在り方が 良いか悪いかという判断も手放しました。実際 正しいか間違っているか、は私にはわからないのです。そして そのように判断してしまいそうになるエネルギーの使いどころを 使いたいところに向けたい、と思います。


現在

私はシンプルを生きたい!


音の世界がどれほどの美しさであるか。

そして、私たちひとりひとりはどれほど美しいか!

私たちに与えられている心は なんとひろやかであるか!なんと神秘であるか!
日毎に湧き続ける泉のようであり、その泉から 私たちは水を汲み 飲むことができるのだ!

そのよろこびだけのために 弾きたい。
そのよろこびを レッスンをとおして お教えしたい。

14年前の今日、天に還った父。

父は今、天から何を語ろうとしているでしょうか。

愛知県の妹もいたらなあ


昨日は 母とともに 父を想いました。
愛知県に住む妹が一緒だったら どんなに嬉しかったでしょう。

妹と父は まるでコントをしてるように楽しい間柄でした。

きっと 父は 妹のところへ 行っているでしょう。

生徒さんに頂いた  ます寿司を母の家で頂きました。今まで頂いたます寿司の中で1番美味しい、と顔を見合わせました。20分ほど仮眠をして 運転して帰り、 夜遅くまでレッスンをしました。




気象変動に心をとめて


私は今、温暖化の影響にも 意識があります。私には できることがある。この私にできる日常ごとをしながら 音の中で 祈ります。

生きとし生けるものが平和でありますように。自由でありますように。しあわせに響きあえる世界でありますように。

皆さま、今日もよろこび満ちる日になりますように。

お幸せでいてください。

沢山の感謝を込めて

さいたま市緑区 / 浦和区ピアノ教室
まえだやえこ