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(演奏動画 弾き歌い 花は咲く)

東日本大災害の記念日に



2011年の今日。
3時ごろ。
大きな揺れ。


おさまりを感じた ときに
ゆっくり外に出た。

異様な静けさ。
空は
晴れでも曇りでもない。

同じ空の下で
想像できないことが
進んでいようとは。


あの日
持って行き場のない
不安と恐怖を知りました。





計画停電の元
蝋燭の灯りで
弾き 弾きました。


当時
ひと月後に
発表会を控えていました。

わたしは そのために
リストのバラード2番を
弾いていたのでした。



この曲冒頭
半音階の不気味なパッセージが
1ページ以上続きます。


その部分を目を閉じて弾くと
まるで津波が見えるようで
震えました。


そして
そのうちに
これが現実なのだ、
知らされだのだと思いました。
であれば
見せられるまま見よう、
津波を見るように 弾きました。


4ページ目には 
光のプリズムに揺らされる
美しい旋律があらわれます。


荒れ狂い
すべてを飲み込んだ後の
静かな海に、

天の光が
さしていることを見せられるようで
なんども
泣きました。




再び 半音階の不気味なパッセージ。

どこが 安住の地かわからなくなる
そんな 有り様に
おののきました。


しかし
最後は
美しい 天のメロディーが

やさしい波のような
左の伴奏に支えられて
歌いだすのです。


あるのか?
あるのか?
この現実にも!?
希望は。

なぜ  
やさしいのか。
なぜ
愛を歌うのか。

その曲の終焉にひびく
やさしさと慰めに
硬い体が
ほぐされていく不思議を思いました。





人智を
はるかに超える力があることに
震え
おののき
思い巡らした
この年。






それ以降
世界中で
大地震は起きています。
インドネシア  ハワイ島…。
 
台風災害
水害や火災。


政治や経済においても。

企業のなかでも
信頼され
尊敬されていたトップの方が
驚くべき姿であった など

世間を大きく揺らす事実が
飛び込んできます。




しかし


わたしは
うろたえ続け
悲しみ続け
自分になにもできない、と
思うことをやめました。



おきたこと。
実は
それらを起こしうる
小さな火種は
わたしの中にもあることも
知ってきたからです。





その
わたしの中にある
その要素に気づき、
その
自分の力ではどうしようもない
その記憶や感覚を


癒され
清められ
ゆるしと愛をいただきながら
天を仰ぎ歩むことが、

わたしのすべきことだと、
知ったからです。




ひとは
みな 弱い。
ひとは
みな 揺れる。

その自分も含む「ひと」
状況や
出来事に
に目を向けつづけ
いい、悪い
正しい、間違っている
と判断し

そのなにかを
変えようとすることを手放します。



弾きながら
いつも 思うのです。




創造のはじまりは
すべての人も 被造物も
美しくあったのだろう、と。






わたしには
弱さも 揺れも
また 悪も あります。




だからこそ
わたしは
積極的に
音楽の愛のゆりかごに
浸ります。







この、
あるがままの自分の感情に気づき
知り続けながらも

そのままを委ね、
感謝し
日常毎に与えられている
平和をうみだすことに
注いでいきたい。


わたしたちは
ひとつのからだ。

だとしたら
わたしは
選びます。




この
小さきもののうみだす
小さな平和は
きっと
祈りの波となり
全地へ流れると
しずかに信じています。





全地に平和がありますように。

すべてが
創造のはじまりのときの
美しさで
よろこび満たされる日々で
ありますように。
 


十字架そびえる青空の写真は
神父であり写真家の
片柳弘史神父様のお写真より
お借りしました。