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(動画 ショパンコンチェルト/キーシン)〜いのちの輝きは永遠に


ふと、
キーシンの奏でる
ショパンピアノコンチェルトが
聴きたくなった。


一粒一粒の音に
やさしさと 感謝を持って紡ぐ
最高に美しい演奏。

聴きながら

ああ、
わたしは
今 悲しいんだ、と改めてわかる。

だから
この曲に満ちる
共感と深い慰めに
拠り所を見出そうとしたんだ、と
わかった。


なんて 美しく
なんて ひろく
なんて せつないのか。












歳上のお友達の
お孫さんが
余命1週間と宣告された。







白血病と診断され
2年戦ってきた。


まだ12歳。


おばあちゃんである彼女から
折々に 聞いてきて 
祈りに覚えてきた。





メールには
こう記されていた。



 「私は大変な中でも、
    憐れみの中に
   体も護られて感謝です。
   彼のパパママも
   2年間の看病にかなりの
   疲れもあるのに元気です。
   守られているのですね。」







この
先に記した
厳しい 言葉を聞いた時、


不安に
しずみそうになった。

せつなさと悲しさに
溺れそうになった。

苦しくなった。




でも

彼女との 分かち合いの後

しずまった。

見るべきところは
どこだろうか。

と、思った
その流れで

妙なる調べが
聴こえてきたように
感じた。

声にならない声で…

「奏でよ」
と。
「愛せよ」
と。



ああ、
わたしにも
できることがあるのだ。


その 
彼のいのちを愛し、
天来の優しさが
その 彼のいのちに 
触れ続けていることを見ることが。


そして

いのちの糧である
パンを焼き

魂の糧である
ピアノを弾くことが。







響きのなかに
身を置いていると
じんわり
平安が訪れてくる。


わたしのどこからか、
しずかなやさしさを感じた。

おどろいた。

でも
しばらくして

彼にも
この平安が伴っているに違いない、
思った。


そうか。




だから
わたしは
今日も 
ピアノを弾く。



いのちは
きっと
輝き続けるだろう。

彼がどこにいて
どんな 状態であっても
いのちの輝きは
その空間を
照らすだろう。

うまれてきた奇跡を
賛美するために。

いきている奇跡を
賛美するために。

悲しみが
つらさが
祈り 
賛美する 方へと
誘う。


賛美に
響きあうことを
選ぶのだ。






メールには
こう締めくくられていた。

「でも必ず
   奇蹟の癒しをしてくださることを
   信じてお祈りしていますの。」