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雪国のおひなさま


なんと美しい空だろう。



透きとおり
空っぽになっていくようだ。



清々しい この天を仰ぎ
大きく
深呼吸をした。




母のこと




母の家のおひなさま。



母は夫を天に送ってから
住まいを
富山からさいたまへ移した。




オーケストラや室内楽を
若かりし頃から愛していた両親。
母の夢は
もっと
あらゆる文化に触れ
よろこびを深めていきたい
ということだった。


いつしか
都会に住みたい、
と話すようになっていた。


母は
思い描いていた。

父が退職してしばらくしてから
夫婦で東京に出たい、と。



しかし
父は富山を生きたかった。




母は長く立派に働いてきた父の為に
リフォームをした。



建築家になりたい、
学生時代に願っていた母 自ら
設計したすまいは、

どの温泉やホテルに泊まっても
嬉しいけれども、

我が家ほど居心地の良い場所はないの、
夫婦はしみじみ
日常をよろこび、
感謝して暮らしていた。


そして
日々の暮らし事を、
こよなく愛した。




母は 時折 しずかに話す。


「山小屋風のキッチン横のスペースで
   ゆっくり2人ですき焼きをするの。
  
   ある日は焼肉を。

   お父さんの畑のとれた
   ブロッコリーの若芽ボールいっぱいで
   作るポタージュスープは

   ほっぺが落ちそうな美味しさ。
   数え切れないほど作ったわ。

   まるで 
   おままごとのような 日々だった。」






その日々は長くなかったが、

母のなかでは
夢を生きた時間だったことが
よくわかる。

きっと
父も同じだったのではないか、と
わたしは思う。






母の家のおひなさま。


綿をたくさん着込んだ
ふっくら お内裏様とお雛様。


ほの暗いなか
雪かきから朝が始まる
北陸  富山のお雛様。




その台座は
父と求めた輪島塗。


アンティークに囲まれていた
富山の実家を
懐かしく思う。





父と金沢や能登半島
高山へドライブしては
出会った
思い出の品々。

慈しまれた品々。


田舎の一軒家から
埼玉のマンションに移る時に
たくさん手放してきた。



今思えば
「貰ってくれない?」
と言われたものを
受け取れば良かったが、

当時のわたしは
物の価値を 
あまりよくわからない者だった。





それはそれで
いい思い出だ。


コンパクトになった母の住まいは
13階。

前には畑や田んぼが広がり
左手には 北陸新幹線が見える。

夏になれば
近くの
遠くの花火が
毎日のように
まるで線香花火のように見える。


朝  のぼる太陽を眺め
夕には沈む陽を見送る。



ああ
いきるとは 
なんと美しいことだろうか。


今となれば
悲しみも よろこびとなり
痛みも
愛を知る心の
柔らかい襞とされるのだとしたら。





富山の冬の食卓には
よく
鱈と鱈の白子と
白菜の煮物が並んだ。


先日
主人とお寿司やさんで
白子の握りを食べたのが
とても美味しくて、
母に食べさせてあげたくなった。




お寿司を持って訪ねた。

母のお惣菜は
手土産の握りを引き立てるように
優しく整えられた。

楽しみに待っていてくれたのが
食卓から伝わり、
少女のような可愛らしい母のこころに
新鮮なよろこびを感じ
微笑んでしまう。





食事ののちに

13階の窓の外に
白い鳩が飛んできた。

「やえこ、みて!
    白い鳩よ❗️
   どうしてこんな高さに!」


わたしは ゆっくり窓の外に目を向けた。

母が見た瞬間から
わたしが窓へ目を移すまでの
タイムラグがあるにも関わらず
白い鳩は
はためいていた。



私たちに向かうような形で
はためいていた。



お顔も見えた。





あれから
不思議を思う。



白いはとは
何かを
私たち それぞれに残している。







お茶をいただきながら
しばし
しずかに語らった。

不思議を 語るでもなく
語らった。




天にいる父を
少し感じた気もした。


その私たちのその姿を
やさしく
見守っているのかな。







ああ
音楽とおなじ  やさしさだ。

懐かしさだ。


響きだ。



昔の人が読んだ詩が
聞こえるようだった。




もろもろの天は神の栄光をあらわし
大空は神の御手のわざを示す。

話すことなく 
語ることはないのに
その響きはあまねく全地に響く〜