· 

奇跡のスーザンボイルさんの歌声

久々に聴きたくなった
スーザンボイルさんの歌声。
みなさん、
ご存知ですか。
当時
47歳のスコットランドのスーザンさん。
2009年放映
「ブリテンズ.ゴット.タレント」
で、驚くべき歌声を披露し
一躍、有名人になりました。

当時
YouTubeで聴いた時
震えがとまらなかった。




彼女の歌声を聴いていると

「声」は
天から与えられた
聴こえる愛の表れ
としか思えません。
そして
ひとは
外見や その人に付随しているもので
評価してしまうけれども、
そのひとの
「タレント=賜物=天賦の才能」
に出会う時に
驚き
自分の価値観の不確かさに気づき
ひとりひとりに与えられている
人智を超える 美しさに
おそれおののき
感動し
見る目が新しくされる。



スーザンさんは
アスペルガー症候群と診断されていたことも発表されています。

陸軍工兵曹長の鉱夫で
大戦でPTSDを患い、
感情のコントロールが出来ず、
しばしばスーザンさんに暴力を振るっていた父親。

父が亡くなり、
母の面倒を見て、また母が亡くなり、
猫のペプルスと一緒に暮らしていた
独身のスーザン。



そのコンテストに向かう中で語る
彼女の言葉は
真理の輝きです。



わたしが無価値ではないと認められ
受け入れられるとき
人に何かを与えられるのだと思います。





この言葉を
スーザンの内面から言わしめる
その原動力、
源に
感動するのです。
ひとは
自分に与えられている
美しさに気づきにくいものかもしれません。
努力によって成功した人を見るとき、
そのひとを素晴らしいと賞賛しながらも、
自分にその力がない
エネルギーがないことに
寂しさを覚えることもあるでしょう。
しかし
私たちの想像を遥かに超える道がある。
与えられている価値に気づく時
驚くべき よろこびが生み出される。


1月14日は成人式ですね。




わたしは当時
その日
あまり喜べるものではありませんでした。


音楽大学でのレッスンは厳しく、
大学の師の言葉の暴力、
罵詈雑言に震えていたのです。





常に暴言を言われているうち
自らのしていることに自信がなくなり
疑い 
存在が嫌になり
行き場がなく 塞ぎ込み
胃の病気になり
ドクターストップがかかり、
随分 休みました。






思い出すと、
大学寮の
おじさん おばさんは
どれほど
心配されたかと、今ならわかります。
それなのに
それはそれは
さりげなく
あたたかく関わってくださいました。

お部屋に そっと訪ねて
声をかけてくださったり
やさしく見守って頂いたことを
感謝とともに思い出すのです。



またお世話になった
東大分院の医師が、
わたしに
障害を持つお子さん達と
ピアノやうたで共に過ごし
励ますことを
勧めてくれました。






そのように
大学以外での出会いも与えられ、
少しずつ
今の自分の基盤が作られたのだと
思います。


後に
教務課に相談した結果、
尊敬していた教授に
師事を変えて頂くことができました。





人気のあった教授ですのに、
ない時間を工夫して
あけてくださいました。


そして
弾くことの恐怖から
ゆっくり開放へと
導いてくださいました。




レッスンは
早い朝の時間でした。

あさごはんは
召し上がって
いなかったのかもしれません。


小銭入れをポン、と渡され、
「お前さんの好きなものと
   俺のコーヒーを買ってきてな。」
と、その姿は
今でも懐かしい思い出です。



また
4年生の門下生みんなを
自らワゴンに乗せて、
蓼科にある教授の別荘へ連れて行ってくださった夏の旅。
清々しい高原で
気さくな分かち合い。
背負っていたものがおろせて、
自然に
ピアノに向かうようになっていけました。






癒されていった
その道は、


わたしがわたしであってよい、
というぬくもりを感じさせてくれた

教授、
家族、
大切な方々の存在のおかげだと
思います。





そして今では
苦しかった日々も

わたしの宝に
なってきたように思います。



なぜなら
そのおかげで
痛みを知ることができたから。



そのおかげで
痛みにしみわたる
やさしさや ぬくもりを
深く感じる感性が
育まれたからです。



なによりも
今は
弾かずにはいられない
ピアノとなりました。







 
音楽は愛でした。


そのひとの中に住まう愛、でした。
 
 


その
愛である音に満たされ

潤され

音のよろこびを見続けて
弾き深めていくとき


音楽は
その人自身の美しさを
その人の心に
やさしく
気づかせてくれる、と
わたしは知ったのです。