やさしい光がさしこむ時
こころの深みに
感謝がうまれます。
大好きな明子先生から
土曜日に大きな小包が届きました。
買われたけれども
使う事がなかった品々。
やえこがもし使ってくれるなら、と
送ってくださいました。
ロングブーツや、
スウェードのジャケット、
セーターやランチョンマット。
使わなかったら
譲っても
売ってもいいよ。
自由にね!
と。
どれも
わたしにとっては高価なもので、
また
神戸育ちの明子先生のセンス、
ひとつひとつが大切に包まれていることに
感動しながら、
くださった
あっさりした
さり気なさが
わたしには
とてもあたたかく
やさしく
幸福で
しばし浸っていた休日の余韻は
今もわたしをぬくもりで満たしています。
先週、
ご夫妻でいらしてくださった時の
手土産のひとつの肉饅を
丁寧に蒸しました。
苺も🍓並べました。
「苺は12月ころからでしょ。」
と話しながらくださった時の雰囲気が
やさしく蘇りました。
食卓のランチョンマット。
わたしが選ぶのはカントリー調。
先生の選択はエレガント。
敷いてみると
まるで、
聘珍楼や東天紅といった
中華の名店に
食べに行った気分にさせてくれました。
わたしは
いつから
こんなに
よろこび満ちる日々になったのでしょう。
しあわせを感じない日はありません。
だけど わたしは知っているのです。
わたしが
どんなに生きることに失望し、
生きることを諦めたくなった
暗闇の日々の連続だったことを。
そのわたしが
奇跡の日々を過ごしているのは
めぐみです。
そして
それは
すべての人に開かれている
必然であることを
今ははっきりと感じているのです。
このようなよろこびへ導かれた極意。
揺るぎのない
その出所も
はっきりわかっています。
それは
わたしを愛し、浸ることのできる
音の世界に
いつも身を置き
ひとつであること。
そして
もうひとつは…
夢を見るちから
(想像力が豊かであること)
がいつもともにあり
描き続けてきたことに由来している、
ということだと。
昨晩、
ベートーベンのソナタを弾く
中2の生徒さんのレッスンでした。
曲を聴きながら
ふと、目をやった譜面。
彼女の楽譜の中に書きこまれた
彼女自身の文字に
衝撃を受けました。
まるで
この者がしていることを
生徒さんが している。
静まりふける夜中、
思い出していました。
なんと嬉しいこと。
自からが
自らの可能性を信じて
自らを励ます姿は
なんと人をも励ますことか、と。
そうです。
自分の人生の幸せは
「自分持ち」なのです。
その
「自分を大切にして生きる」
姿は、
自分のみならず、
まわりをもあたためていくのでしょう。
あたたかな光をうけて
満たされて、
そのよろこびを持って
自らを愛し、励まし、
よろこびの音色を生み出していく。
確かに
わたしは
生きるのが辛い日々でした。
それは
自分に自信がなかったから。
自分を愛せなかったから。
しかし、
わたしは
そのことに今は感謝しているのです。
決して無駄にはなりませんでした。
悲しみの谷が深い分、
よろこびの峰の高さの落差を
おそろしいほど
感じる事が出来るから。
そして、
その日々はわたしに
揺るがない夢を
描かせ続けてくれています。
夢。
揺るがない夢。
かつてのわたしのように
自信がなくて
生きる希望を見出せなかった
こども、
また学生、
また どなたか
ひとりに
「あなたは素晴らしい。
よろこび輝いて生きる存在になる!」
が伝わる媒体として
存在したい、ということ。
きっと
自分の力で
ガムシャラにならずとも、
わたしを愛し、
いさせてくださる
音の世界に生きる中で、
日々、自分を大切し、
よろこんでいるならば
きっときっと
その夢は
自然な形で叶えられていくだろうな、
と信じています。
明日は
親友、武田美千香さんの
ピアノリサイタルです。
一日、
素晴らしい会になることを願い
サポートして参ります。
美千香さんの演奏をとおして、
会場に
いらっしゃる方々に、
美千香さんを満たしても尚、
あふれるほどの
音の神秘、やさしさ、よろこび、
希望が
届きますように。
深夜の打ち上げでは
美千香さんの
身体は疲れていても、
成し遂げたよろこびの表情を
きっと見る事が出来るでしょう。
お読みくださり
ありがとうございました。
みなさま、
お元気でお過ごしくださいね。
たくさんの感謝を込めて。
まえだやえこ
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