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奥深くに与えられている宝



自分の心が
いつも 
かわらないよろこびに
満たされていること。

これは
生きていく中で
最大の宝だと思う。




15年くらい前までは
わたしは生きるのが辛くて辛くて
たまらなかった。


せねばならない、が
わたしを支配していたから。





わたしにいつも取り巻いていた言葉。
🔽
練習しないのは
なまけもの。
うまく弾けないことは
恥ずかしいこと。

どうするの?
何やってるの?



評価がいつもわたしについて回る感覚。
逃げたくても逃げられない。

わたしの中に
住んでしまっている感覚だから。





のちに社会人となり

わたしは
やさしい先生になりたい!
なる!と決めた。 


やさしさを
どうやって生み出し、
どうしたら生徒さんに
よろこびを感じてもらえるか、
を模索していた。

大勢の生徒さんが与えられ、
嬉しいけれども
自信がないので ゆとりがなく、
また、
若すぎてレパートリーも少なかったので
常に新しい曲を勉強していた。

話しながら
ふう、とため息がでる。

頑張っていたなあ。




そんな忙殺されていた毎日の
20代を走り抜け、
30代となった時、

突然
わたしはピアノを見るだけで
大泣きしてしまう
そんな病になってしまった。



ガーン😭





カウンセラーに言われた。

「弾かなくても生きていいんですよ」
と。

何?
弾かないでどうやって教えるの!?

ありえない!

演奏することを手放したら
わたし、どうかなっちゃう。



穏やかな 
やさしく語られた。
「なぜ、弾かなくちゃいけないのかな?」

??

??


「?!!
   当たり前でしょう。専門家だから!」



 

さらに 穏やかな声が
答えた。


「専門家であっても
人間忘れた専門家だったら
人間、取り戻さなくちゃね。」



その時から15年が経った。

わたしは
人間になれた(笑)❤️


生きているだけで嬉しい!

その上で
ピアノがまったく新しくされた❤️





弾かない自分を受け入れられず、
また、ピアノを弾かずに
それ以外のほかの事をするのは
罪悪感が伴う。
体育座りをし、
半日隅っこの方にじっとしていた日々。





ひとは
条件付けで生き続けてくると
生き方がわからなくなるのだ、と
身を持って 知った。




こんな
苦しみの日々
癒しへの日々をとおり、
今、
いつも
よろこびが湧いている。



わたしは
わたしであるだけで幸せなのだ!



その上で
音楽は素晴らしい!と心の底から思う。

弾くことは
何にも代え難いよろこびなのだ。

この恵みを
ひとりひとりの位置で
感じてもらえるレッスンでありたい。








生徒さんたちは
素直に
素朴に
音から感じとって
自由に弾く。

自然体で弾く。



こころの深みから音を紡ぐ。


ほんとうに嬉しい。






その姿から思う。


自分が自分であることが嬉しくって、
どんな自分をも
うけいれ、
愛せるようになることほど
美しいことはない、と。


わたしも
そうありたいな。



自分の人生の主人公は
自分だ。

小さな子も
おとなも。


自分で選択し、
幸せを生み出すことができる。

その力は与えられているのだ!





わたしは
どんな時も
ゆとりを持っていたいと思う。


自らのこころに聴くゆとりを。





毎日、こんな習慣を持っている。
自分と対話する時間を。



今、どんな気持ち?

それはどうしてかな?



さあ、
今からどうしたい?

どうできたら嬉しいかな?

と。




温泉に
ゆっくり浸るような感覚の中で
自分に聴く。


それだけで
こころに
やさしい ゆとりがうまれる。



やさしさに満たされ、
よろこびに満たされて、
今日も伝えたい。


「みんな 素晴らしい!
   素敵です!
   あなたの音色に出逢えて
   わたしは幸せ!」
って。

益々輝く
生徒さんの未来が
見えてきて
嬉しい!





今日も朝がきたぞ!


日毎に恵みは新しい。



さあ、はじめよう!


よろこびの源に降り、
やさしさに浸り、
紡ぎはじめよう!