わたしがここにいる。
わたしが音に満たされて
いま、生かされている。
父は天にいる。
母は地にいる。
13年前の今日
夜10時に
父は天へ還っていった。
母は
翌年、
関東に居を移した。
わたしは
次第に富山へ帰ることはなくなった。
ふるさとは
わたしにとって
場所ではなくなっていった。
さいたまのマンション13階の母の家は
富山の住まいの
まるでミニチュア版だ。
母の家に行けば
そこは
わたしのふるさと。
父が安らいだ椅子があり、
母が紡いできた作品がある。
幼少から弾き続けたヴァイオリンで
父を送る、と
13年前のあの日、
妹はポツリと言った。
父は妹のヴァイオリンが好きだった。
高校から30過ぎまで
弾かなくなっていたヴァイオリンを
ケースから取り出して
妹は弾き始めた。
弾いていなかったとは信じられないほど
懐かしいメロディーが紡ぎ出された。
幼い頃から弾き続けたものは
記憶に残るのか。
わたしがレッスンで生徒さんに
エリーゼのためになどの名曲をあげたい
理由はそこにある。
世界中で親しまれ、愛されている曲を、
記憶のなかに残してあげたいのだ。
ところで
その音色を
その懐かしいメロディーを
父は聴いていただろう。
懐かしく聴いていただろう。
聴きたくて聴きたくて
待っていたことだろう。
その日私たちは
カトリック教会で天に還る父と
お別れをした。
妹のヴァイオリンと、
妹のヴァイオリンの先生である
おじさんと、
わたしのパイプオルガンの音楽で、
音楽葬で、
天へ送った。
あれから
無意識に父を探すわたしがいた。
でも
見える形での父は
存在しなくなった。
母がいるところがふるさとだと
感じるわたしは
富山に帰る理由がなくなった。
13年の歳月が流れ
帰るきっかけがうまれた。
恩師の還暦を祝うコンサートの出演に。
腱鞘炎が痛む頃だったし、
わたしは、
富山に帰る思いはまったくなかった。
返事をした。
はい。お祝いさせてください、と。
父が
よんだのかもしれない。
もう一度、
お父さんが聴いた最後のホールで
おまえのピアノを聴かせてくれ
と。
わたしは
たしかに変わった。
たしかに変わっていた。
わたしは
いかされていることに
こころから感謝している。
日々を
こころから愛している。
そのようなわたしへと
変えられていることに気づいた。
パンを焼きながら
父と電話で話していたその翌日、
父は天へ還った。
わたしにとって
パンは
いのちの糧
いのちの象徴となった。
悲しい時、わたしはパンを焼く。
嬉しい時、わたしはパンを焼く。
祝いたい時、わたしはパンを焼く。
慰めたい時、わたしはパンを焼く。
励ましたい時、わたしはパンを焼く。
同じように
悲しい時、わたしはピアノを弾く。
嬉しい時、わたしはピアノを弾く。
祝いたい時、わたしはピアノを弾く。
慰めたい時、わたしはピアノを弾く。
励ましたい時、わたしはピアノを弾く。
2018年8月
富山に帰った旅は
わたしの
新しいはじまりになったように思う。
苦しく 辛かった過去は
わたしを練り上げた日々として
感謝している。
なぜ弾くのか、が分からず
わからないのに弾くことを選んだ
膨大な力のない日々は、
無駄になるどころか
ぶれない答えを授ける歴史となっていた。
わたしは
これからもいのちの糧のパンを焼き、
こころの糧のピアノを弾き続ける。
沢山の方々に支えられて
今がある。
その今も続く歴史を
天で、地で、
見守り祈り続けてくれている
父と母に。
また主人に。
こころから感謝を込めて。
愛する父の天への凱旋記念の日に。
まえだやえこ
追記
「このコンサートでやえこも弾くだろう」と予め知って
コンサートに来てくれた
高校時代の親しかった友。
コンサートの翌日、車で、
富山の町の変化を説明してくれながら
富山のうまいものの隠れ家や、
カフェに連れて行ってくれた。
彼女は高校時代、
いつも文学に親しんでいた。
ヘッセ、ディケンズ、ブロンテ姉妹…。
わたしに
世界の名作の扉を開いてくれた友だ。
落ちついていて、
しずかな誇りを持ち、
そしてかわらず おもしろかった^ - ^
素敵な時間をありがとう!
恩師宏映先生の
若い門下生のお母様の経営する
イタリアンレストラン🇮🇹。
コンサート後の先生を祝うパーティは
素晴らしいこのお店で行われました。
富山駅からそう遠くない
「世界で1番美しいスターバックスがある」ことで人気スポット、富山環水公園内にゆったり佇むレストラン。
インテリア、食器、
また食材へのこだわり、
サービスする人材のこだわりが
オーナーと話さなくても伝わる素晴らしさでした!
宏映先生から届いた
記念のペーパーウエイト。
父を思い昨日焼いたパンは、
切りっぱなしで手でさきながら
ゆっくり味わいました。
お父さん ありがとう。
お母さん ありがとう。